お手紙が届きました。~㈱高橋徳治商店 高橋社長より~

<再会>

思い起こせば、震災後まだ国道も、当然一般道路も瓦礫の山でした、にも関わらず盛岡から熊大活躍 神戸「絆」号谷理事長、大木専務が、私のいる山の避難所に駆けつけてくれました。震災のショックからか、頭が真っ白だった当時の私にもその時のあ~本当に良かったぁとお二人の声や再開の涙、お顔がまだ記憶に残っています。温かいドリップコ-ヒ-も嬉しくて。
生きていたのは偶然、山か平地の小学校か選択したのは勘、危険を察して車を捨てたのはとっさの選択、二日目の夕方に山に登ったのは小さい時からの教えられた記憶・・・・
 

何より一番始めに物資を届け始めてくれたのは岩手の皆さんの判断による行動や呼び掛けでし避難場所 牧山神社にてた。ようやく通じ始めた電話で済む話ですが・・・余震が続く中、道路も不通があちこちであるのに、凍った道を走り駆けつけて下さり、次は何が欲しいのですかと次々変わっていく要求に合わせておびただしい物資を手配し届けて頂いたのは皆さんから私達生産者への温かく熱い気持ちでした。時に岩手単協から時に岩手のスーパーから、そして一番は組合員の皆さん一人一人からの供出品の数々を積み込み牧山の神社社務所の100畳間は廊下まで山積みになり150人からの避難者はビックリ、こんなに次々ととんでもない物量で、この生協って何なのと詳しく聞いてくる方も沢山おりました。

あらゆる食料から乾電池、歯ブラシ、タオル、石鹸や女性用品から子供、高齢者のオムツ、飲み水に至るまで週に何回も届き岩手県でさえ手に入りにくいものも調達して頂きました。公認の指定避難所ではなかった為に初めは自衛隊にも分からず一時は完全に孤立状態の私達、今後のこと皆で悩み相談しあったものです、それがどんどん天国のような避難所に。


<片付けの開始>
すべてはここから始まった~ヘドロ出し作業~3月30日全員解雇を告げなくてはならなかった、苦渋の選択でした。一人も雇用を守れなかった。そして瓦礫や車、ヘドロで入れなかった本社工場の外の片付けが始まり、工場内部は800坪で重量物を除去する重機もなく真っ暗な建屋にこれまた調達していただいたガソリンエンジンの発電機や照明器具、わずかな明かりを頼りに機械や建物の隙間にもぐりこみ這いつくばってスコップを持つもの、一輪車を運転するもの、樽に入れて外部に運ぶもの。力仕事をしたこともない、スコップも持ったことがない、ヤッケやカッパ、長靴にまで重油やヘドロ混じりの砂が入り顔にもはねては皆ドロだらけ、汗もふけない。水がないからヤッケや手袋の洗いは満潮で冠水した道路で海水交じりの水で手洗いをする。満潮で冠水が進むと道路は車で走れなくなるので時間との勝負だと往復7時間、本当に遠くは岩手盛岡から朝も早くから通っていただきました。

土日は理事、組合員やその家族の皆さんもどんどんいらっしゃる、職員も休みもなく来て頂いた、加えて岩手を拠点に連合会の各単協から少しずつ職員が増えてくる、神戸から青森まで連合会職員も出てきていただいた。組合員さんは家庭のこと、職員は仕事のことも会議さえ後回しで来ていただいたとも聞いています(内緒ですが石巻のここの方が実りあると=笑い)。
後回しになってしまった自宅も丁寧に片付けも持参してもらった貴重な水で洗って整理、連れ合いもほっとしたようだ。先先代から受け継がれたものの壊さざるを得なかった仏壇や箪笥の中も心込めて整理して下さいました。殆ど流された車の中で唯一無傷で奇跡的に一台が見つかりましたがそれまでの間、しばらく貸していただいた生活クラブの小型のバンは本当に助かりました。
数え上げたらキリがありません、食べてないでしょうと手作りの家庭料理、肉や魚、卵に煮物と全て感動でした。

震災後10日目から書き始めた携帯日記、読めばどんどんお世話になった日々がよみがえります。
しかしご免なさい、今はまだ読み返すことが出来ません。買い求めた震災写真集も三冊、ぺ-ジを開けないまま 積読です。隣町へは余ほどの事がない限り行きたくありません、行けばその日は一日気が重くなるのです。新聞記事では高齢者含めて60%以上が失業したり家もなく貯金もなくなって・・・・そして水産業界も農家や酪農畜産も含めて最悪の放射能放出汚染、垂れ流し。情報隠し。
 

<復興にむけての一歩>
掃除完了! 仮事務所の前にて私どもに出来ることは 頑張って再興して何人かでも採用すること、今はそう思っています。
震災前は7生産ラインあったのですが、今回は1生産ラインだけで揚げかまぼこを生産します。そして今の予定では 10月1日 安全祈願のお祓いして火入れ式 10月3日には初練りで「おとうふ揚げ」を生産開始します。大豆工房のお豆腐でまた再開です。初めは少しずつ 恐らく3.11から7ヶ月の10月11日にはフル生産していることでしょう。7ヵ月・・・・7ヵ月・・・・長い長い道のりでした、本当に。

瓦礫やヘドロの上に立って作業し一日が終わり、冠水していく道へ出て皆さんが帰るのを見えなくなるまで見送り 疲れきった身体を吹き抜けるようにヘドロの粉塵が風に乗って舞っている。カッパを脱ぐのも忘れて瓦礫に腰かけての夕暮れ、放心してそんな日々が延々と続くように私は そう思うしかなかった。背中を押す皆さんに「私は一人考えたいから休ませてくれ!」と思ったときもありました。寝ていない、満足な食事もない、神経が張り詰めている、何より未来も明日も見えない、たった一人、躁鬱と意味不明の話しが口を出て行く。

実際は休みが日々毎日、昼も夜も一切なかった、結局はそれが私の為だったのでしょう。
私は社員や家族にまで見放されたと感じた、しかし一人になって、ひとりからしか出発できないと考えるようになってようやく家族や皆さんと出会えた気がします。北北東のほうに目を転じれば岩手の仲間がいる、生協って皆さん一人ひとりが作っている。震災は全てを奪っていった、放射能は未来を奪って行っている、でも私は忘れないし深く肝に落とし込んだ、素敵な気づきを沢山頂きました。

1生産ロットの初めのおとうふ揚げを皆さんにお届けします。私どもの気が入っているか、楽しみにして下さいね。現在まだまだ工場を磨き続けています。
有難うございました。本当に有難う。 

2011.9月12日(震災6ヶ月と1日目)

 宮城県石巻市 ㈱高橋徳治商店 代表取締役 高橋英雄 拝
 秋の夜長 仮住まいにて 






 

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