町が消えた!南三陸町
東日本大震災の大津波で甚大な被害を受けた岩手県南三陸町。
その中でも「町が消えた」とまで伝えられた東部の歌津地区に生活クラブの「生かき」の提携生産者である(株)丸壽阿部商店はあります。
(株)丸壽阿部商店は、南三陸町の歌津湾・志津川湾や気仙沼、それに「NPO《森は海の恋人》」の活動でも知られる唐桑などの宮城県北部の地域で育てられた原料かきを、清浄海水に詰めて出荷しています。
地震発生時は工場稼働中であったため従業員は被害を免れることができ、かきの養殖場へ頻繁に出向く阿部寿一専務は、この日は偶然にも仙台市内での仕事で、難を逃れることができたそうです。
工場は高台にあるため、被害は受水槽の破損のみ。しかし、ご自宅は集落の半数の家屋と同様に流され、大事な会社の書類なども流出してしまったとのこと。
「50代以上の人たちの心は折れそうですが、40代は元気に再建を考えています。松島から気仙沼、岩手県山田までの生産者とは横のつながりがあるので、小さな集落ごとの再興というよりも三陸全体の再興を目指したいと思います。そのためにもできるところからかきの生産を再開し、隣の産地、そしてその隣の産地へと良い影響を与え合いたいです。口火を切る人がいれば必ず広がるはずです。だから、自分がその役割を果たしたいと考えます。死ぬ方と生きる方に分けられて、自分は生きてしまったのだから、それが生きた者の使命だと考えています。こんな辛い思いをしたのだから無駄にはしたくありません」
(連合会HPより)
3/24から5回にわたって生活クラブからの支援物資を運びました。
最初は孤立した避難所でしたが今は食料などの不足はない状態になってきました。
それでも生鮮食料品は手に入らないため(お店は一軒もありません)
卵・豆腐・肉類はとても喜ばれます。
そして一番は「牛乳」
いつもはなかなか表情を崩さない社員の方が「久しぶりに牛乳を見た」と満面の笑顔に。
運んできて本当によかったと思える瞬間です。
日頃、週1000本の牛乳をこなすことに四苦八苦している私たち。
「あって当たり前」なんて思ってたんだなぁ・・・・
(佐藤直子)