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新たな一歩

高橋徳治商店の高橋社長が新たな一歩を踏み出しました。

本社工場とともに自宅も津波被害に遭い、あの日からずっと避難所で暮らしていた高橋さん。牧山神社避難所の村長(?)として地域のみなさんのまとめ役を続けてきましたが、震災から2か月が過ぎ、「神社はもう宮司さんへお返ししよう」と避難者へ提案しました。まだまだ仮設住宅の建設も追いつかないし、市内の民間アパートや借家も払底状態ですが、それでも「いつまでもモノをもらってばかりの生活でなく、少しずつ自分たちの足で立ちあがろう」という高橋さんからのエールです。

そして、高橋さん自身は本社工場から車で5分ほどの山の中腹にある一軒家を借りることができました。高橋さんがいた牧山神社のふもとの町内会(生活クラブから支援物資を運んでいました)の会長さんの口利きで、やっと見つけた家です。ここを仮事務所兼住居として使います。

まずは高橋さんが安心して眠れる場所を確保して、ゆっくりとこれからのことを考える時間をもつこと。これが今一番大切だと考え、私たちはお掃除隊を組織して5/14に7人で仮事務所の片づけを行いました。持ち主の方が住んでいたままの状態だったので、家具や衣類や生活用品すべての片づけです。高橋さんの要望を聞きながらお掃除部隊はてきぱきと動きました。さすが長年主婦をやっている人ばかりなので品物の整理・掃除・畳拭きなどはお手のもの。その上、女性陣だけでタンス運びまでやってしまいました。すっきり片付いた寝室と居間と台所を見て高橋さんは「これでやっと山から下りられる。」と。その言葉を聞いて私たちもなんだかほっとしました。

庭からは日和大橋と海が見えます。本来なら「いい景色だなぁ」というところでしょうが、あの津波の映像を見ている私は心からそうは思えません。実際に津波に追われて逃げた被災者の人が「海は見たくない」と言う気持ちがわかるような気がします。 高橋さんもいつもは元気そうに見えますが、心の底には私たちの想像を越えた恐怖心があるのだと思います。「これはどうしますか?」と尋ねると「地震で倒れると困るからタンス類は納戸に運びたい」とか「地震で落ちてきたらイヤだからガラスの食器は下の棚へ入れてほしい。」建てつけの悪くなった仕切戸を「閉めっぱなしでもいいのでは?」と言うと「地震のとき逃げられないからダメ。」という返事。余震の心配もあり、会社の先行きもまだ見えず、高橋さんの不安な気持ちを思うと胸が痛みます。

それでもあの日私たちが行った時には先客があり、高橋さんは仕事のことを相談していました。新しい事務所で新たな生活がスタートです。

(佐藤直子) 

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