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奇跡の「わかめ」、守り抜いた「焼きうに」

度重なる受難

 養殖わかめは、6~8月にかけて天然わかめのメカブを採苗し、養殖用のロープにわかめの芽が出たものを11月頃に海に入れ成長させ、3月には収穫します。重茂では昨年11月に海に入れたものが海水の温度が高くうまく育ちませんでした。再度、わかめの芽を調達し作業を終えたところに、年末年始にかけての超大型の低気圧が襲ってきました。これにより重茂全体の3分の2の養殖施設が被害に遭い、わかめの収穫も例年の半分程度の2000トンぐらいしか見込むことができなくなりました。「50年に一度の大シケ」「未だ経験したことのない7メートルもの高波」にも重茂の人たちは「これが自然」と現実を受け入れ、屈することなく前に進む姿が、強く心に残りました。しかし、その2ヵ月後に想像を絶する自然災害が襲ってくるなど誰が予想できたでしょうか。大シケ後のあの時、悔しさを滲ませながらも黙々と港で復旧作業を行っていた人たちが、港も施設もサッパ船も全ての景色が一瞬で消え去ってしまうことなど想像できたでしょうか。

 大シケの被害により、年1回の「早採りわかめ」の取り組みも危ぶまれました。しかし、「重茂の1年は早採りわかめの出荷から始まる。自分達が元気になるためにも岩手の組合員には出荷したい、みんなに食べてもらいたい。」という強い思いがあり、配達を延期して実行しました。「早採りわかめ」の色と香りは、私たちに春の訪れを告げてくれます。受け取った私たちは、被害を免れた貴重な早採りわかめに感謝し食しました。

3.11は全てを破壊した。トリプル災難の最後は全滅

 そして二度の苦難を乗り越えて迎えた3月の収穫期。サッパ船、発電機などを港に準備し、わかめの収穫が始まりました。その最中の3月11日午後2時46分の地震。約20分後の津波の第1波。そして第2波、第3波・・・。大津波は、全てのものを一瞬に破壊し消し去ってしまいました。

 わかめは、収穫直後にボイル作業を行い塩蔵処理します。それを、音部地区の港にある冷凍庫に保管します。その後、わかめのパック施設に移動し芯抜きの作業、袋詰め作業を行い出荷となります。今回の津波で漁協所有の保管施設は、海から離れた場所に位置する最大規模の「第1冷凍庫」を除き流失してしまいました。わかめを保管しておく冷凍庫のある音部地区は、重茂の中で最も被害の大きかった地域です。残念ながらわかめの保管庫も全て海に流され、今は基礎だけを残しています。たくさんのわかめが保管されていましたが、当然のことながら全て流されてしまいました。

重茂と生活クラブの提携は‘人“のつながり  

 震災後重茂には岩手の組合員からのストーブ・毛布をはじめとして、生活クラブの組合員や提携生産者からの支援物資を運びました。何より大切だったことは、行く度ごとに、生活に必要なものを聞き取ることであり、復興に向けての動きなど情報を交換することでした。私たちは、生産者と組合員の「顔の見える関係」、つまり誰がつくったものかわかって食べる・使う、直接会って話しをすることを大切にしてきました。今回の支援はまさに「顔の見える関係」そのものでした。組合員が自分たちで物資を集め、自分たちで運ぶ。直接話をしながらつながりを深めていく。このことで、重茂の住民全体の人たちがSマークのついたトラックを生活クラブと認識してくれました。

利益や事業を超えた提携関係  

 漁協の職員と話す中で、3月11日に袋詰め作業中だった「茎わかめ」と「きざみめかぶ」が残った冷蔵・冷凍庫の中に保管されていることがわかりました。4月8日、わずかの量ではありましたが、太陽食品販売の大型トラックで震災後初めての出荷となりました。そして2010年産の在庫も生き残っている事も判明しました。その中には生活クラブでは普段取り扱っていなかった2号(わかめの等級)も保管されていることもわかりました。

 現在、わかめの主たる生産地である三陸が被災し、わかめ取引は高騰しています。もちろん、日本一の品質を誇る重茂のわかめは〝引く手数多(あまた)〟です。しかし、重茂漁協は「今回の津波災害にいの一番に駆けつけたのが生活クラブであり、そこからの支援物資があったから地域の皆は困ることなく生活ができた。これは長年の提携の関係性によるものである。残っているわかめは、全て生活クラブの組合員に食べていただきたい。」と申し出てくれました。お金ではなく、関係性を重視してくれたことは本当にありがたいことです。  

 最終的に、2号を含め50トンちかくのわかめを食べることにしました。その中には今年収穫し、奇跡的に流されなかった4トンの新物わかめも含まれます。例年の収穫量4000トンのうち、2000トンが年明け早々の大シケ被害を受けました。そして3月の津波で2000トンがゼロ近くになってしまいましたが、4トンだけは奇跡的に無事でした。4000分の4。0.1パーセントの奇跡です。この貴重なわかめを含め、残っているわかめを混ぜて食べていくことにしました。一袋の中には、奇跡のわかめも少量入っています。10万パックを見込んでいますので、重茂の人たちが総出で袋詰め作業に入ると聞いています。

 重茂漁協は、来年の春には例年の半分程度はわかめを収穫したいと言っています。政府や県の水産業の復興に向けての方針が定まらない中、重茂漁協は方針を明確にし、組合員はそれを決定し動き始めました。漁協が生産に必要な機材、資材を確保し、それを組合員が共同で使用し、利益は皆で分け合うというものです。復興に向けての作業は急ピッチで行われています。重茂の人たちの表情は変わりました。それを後押しするためにも、信頼関係に応えるためにも、早期にこのわかめを食べきりたいです。これを利用結集することが復興を早めます。50トンは生活クラブ全体が年間に消費する量の半分です。決して少ない量ではありません。早期に50トンを食べきって、1月は「早採りわかめ」を取り組み、3月から新物を食べる。このように進んだら重茂の人たちは元気に生産に取り組めます。いまこそ生活クラブの組合員は食べる力を発揮する時です。

守り抜いた「焼きうに」 

 漁協から坂道を下ったところに里地区の集落があり、重茂川を渡った左側に重茂港が位置しています。津波は、重茂港を破壊し、そばにある鮭の孵化場、あわびの種苗施設、わかめのボイル施設、そして里地区のほとんどの家を流してしまいました。どこに何があったかわからないくらい根こそぎ持っていってしまいました。重茂川に架かる橋も、橋げたが破壊され、鉄骨部分はぐにゃりと曲がり30メートルも上流に流されました。焼きうにやあわび、鮭が保管されている第1冷凍庫に行くには、重茂川に架かる橋を渡らなければいけません。当初は、津波の大きさから被害は免れられないとあきらめていたようです。それでも確認作業を行うために逆方向から入っていくと、何と第1冷凍庫は水に被ることなく無事であることが判明しました。これも奇跡としか言いようがありません。まるで倉庫の直前で意識的に止まったのではないかと思われるような感じです。そこには大切な「焼きうに」が5万個保管されていました。

 重茂の人たちの凄いところはここからです。「焼きうにを守れ!」ということで、すぐさま通れる道を探しながら宮古市内に入り、大きな自家発電機を確保して来ました。冷凍庫の中の様子は心配ですが、扉を開けると庫内の温度が上がってしまいます。中がどうなっていようととにかく冷やし続ける事を決め、自家発電機を回し続けました。1日1本のドラム缶の軽油を使いながら、電気が復旧するまでの約1ヶ月間耐えました。電気が復旧後、扉を開けて確認すると「焼きうに」は無事でした。重茂の人たちは、力を合わせて「焼きうに」を守りぬきました。

 年末年始のシケと3月の津波は、多くのウニを流してしまいました。どれだけのウニが海の中で生き抜いているのか見当がつきません。資源回復には時間がかかるでしょう。でも、重茂の豊かな海とこんぶがあればウニは蘇ります。今回「焼きうに」は重茂漁協が業者と約束している部分を除いて2万個を生活クラブが取り組みます。今まで取り組んだことのない数です。重茂の人たちが守り抜いた貴重な「焼きうに」もわかめ同様、利用結集していきましょう。

理事長 熊谷由紀子

2010シャボン玉フォーラムより甦る重茂

私たちは、

肉厚わかめ2000点以上

焼きうに1000点の利用結集をします。

そして

重茂の復興の後押しをしていきましょう。

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