重茂の定置網が復活!
生活クラブ岩手 理事長 熊谷 由紀子
6月23日、待ちに待った重茂の定置網が再開しました。
前日、「明日から漁を行います。」との情報が入りました。私の中には、4月19日の「第2根滝丸」救出時に交わした「一番船に乗せてあげる・・・」という約束が刻まれています。しかし、定置の船に乗った方は経験あると思いますが、網を引く時の揺れは独特で船酔いは半端なものではありません。その苦しさと辛さを思い…、軟弱者の私は船に乗ることを諦めました。でも、せめて水揚げの場には立ち会いたいと思い、早朝宮古に向かいました。 午前6時、まず小本漁協の船が入港しました。小本は県内で最初に定置網を再開しました。この日もかなりの水揚げがあり、ママスや鯛が主でした。今、鯛のことがちょっとした話題になっています。本来、三陸沖では鯛はかからないのですが、何らかの理由で津軽海峡を渡ってきているのです。体長50センチぐらいのものが大量にとれていました。小本に少し遅れて「第2根滝丸」が登場しました。大きな船体で、まさに威風堂々といった感です。300メートルも陸に上がったのに、傷一つなかった奇跡の船です。あの救出劇を思うと感慨ひとしおです。
この日は、重茂漁協が宮古市における定置の再開とあって、市長自らが根滝丸を出迎えていました。マスコミ数社も取材に入っており、根滝丸はヒーローのような扱われようです。根滝丸の水揚げは、津波注意報の影響もあり8時過ぎに始まりました。漁師の方は「まずまずです。」と教えてくれましたが、実際に見るまでは不安がありました。クレーンで吊った大きな網で船の魚をすくい、岸壁の箱に入れます。そこから5メートル程の長さのコンベアにのせ、その間に魚の仕分けを行います。獲れた魚は銀鮭が主で、中には18キロもあるの大物もいました。他には、小イカ、鰆、鯖、わらさ、鯛、鯵、ほうぼう、かわはぎ、タコ、フグ、おまけにヨシキリ鮫とすごいにぎわいです。これらの魚を見ていると嬉しくなります。大津波にもまけず、よくぞ海の中で生きていてくれたとものだと思うと、1匹1匹がいとおしくなります。
初日は15トン程度の水揚げ量となりました。しかし、震災後の魚の価格は落ち込み、値の付かないこともあります。魚があがっても、加工業者の生産活動が戻らないことには、その行き先はないのです。それをわかったうえで定置は再開しました。今は素直にそのことを喜びたいと思います。漁師の皆さんの顔は晴れ晴れしていました。若い漁師もおり、その中の一人は大きな声で指揮をとっていました。私が軽々しく言葉にすべきことではありませんが、彼らは再び海に生き重茂で暮らすことを決めました。定置再開、重茂にとって大きな1歩です。
震度5弱の地震 高台へ避難!
根滝丸の水揚げを待っていると、足元が大きく揺れました。あまりに強い揺れにそばのフォークリフトに掴まりました。すぐさま「津波情報をとれ!」の声、尽かさず「津波注意報が出た!」の声が終わるか終わらないうちに根滝丸は沖合2キロに避難してしまいました。あっという間の出来事に呆気にとられていると、今度はマイクを手にした市長が「早く、高台に避難して下さい!」と繰り返しています。皆、さっと行動し、気づいた時は私たちだけが残されていました。市場の後方の高台を見ると、坂道には車の行列が出来ています。それを見て、自分たちがどのように行動すべきなのかやっとわかりました。急いで車に乗り込み、皆の後ろについていきました。さっきまで市場にあったフォークリフトまで避難が終わっていました。近所の住民の人たちも歩いて高台に向かっています。
私たちが高台に着いた時は、既に重茂漁協の職員も宮古市長も到着していました。それから津波注意報が解除されるまでの約1時間をそこで待機しました。重茂漁協の後川課長は、「あの津波以降は、津波注意報であろうと警報であろうと逃げます。とにかく逃げます。」と、話していました。
私自身、津波とは本当に恐ろしいものだと再認識したつもりでしたが、津波注意報が出ても「本当に避難するの?」程度にしかとられていなかったことを深く反省しました。実際経験して、始めて海に住む人たちの津波に対する恐ろしさの一部分を知ることが出来ました。被災地にこれほどまで通っていながらの平和ボケ。本当に反省しきりの1日となりました。