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わかめ袋詰め作業(埼玉の報告)

 7/18(月)~7/23(土)の6日間を頂き、重茂漁協のわかめ袋詰め作業の支援に行って来ました。18(月)が海の日で祭日だったため、実際の作業日は、7/19(火)~7/22(金)の4日間と、前のチームよりも短いものでした。

 一番の苦労は、やはり、佐々木さん宅を宿舎とした共同生活だったと思います。入間の轟さんと東京から合流した浅川さんの女性メンバーが、献立を引き受けて下さったので、大変助かりました。お二人とも最初は、食べ盛りの息子さんを想定した量で作ってくれましたが、神奈川の若手の谷中君以外は、外見も胃腸も老いたメンバーですので、食べきることにかなりの努力をいたしました。恐らく、男性メンバーは、全員太り気味で帰ったのではないでしょうか。2日を過ぎたあたりで、我々の適量をわかって下さり、最終日には、大体残さず食べられるようになりました。食材としては、飯能DCから、牛肉スライスや漬物・納豆などの支援をいただき、重茂漁協からは、イカや銀鮭や肉厚わかめをいただきました。少ない日数の私達には、過分なほどの量でした。申し訳なく思っています。

 女性ばかりが働いたのではありません。谷中君は、銀鮭を捌いたり、カレーの具を炒めたり、積極的に動いてくれました。神奈川のベテランの石坂さんも、朝のコーヒー煎れと洗い物を引き受けてくれました。食事以外での協同生活においても、メンバーは機敏に動いてくれました。神奈川の伊藤さんからは、重茂の過去現在の情報や、津波被害の視察候補地、その他の提案をいただきました。樋口さんには、重要な埼玉の出納管理を、お願いいたしました。中薗さんには、初日からの運転を引き受けいただき、おかげで安心して「通勤」することができました。その他、私の気づかず至らなかった多くの箇所を助けていただいた、と感じています。無事に、今回の支援を終えることができたのは、何よりも、全員の協力があったからです。みなさん、本当にお疲れ様でした。

 私たちが支援した作業は、乾燥カットわかめの袋詰め、袋の日付シール貼り、茎わかめの選別と計量と袋詰め、袋詰めのパックを綴じる作業、機械に茎わかめを供給する作業などでした。立ち通しで背中をずっと屈めながら作業するので、疲れがそれなりに溜まりましたが、さまざまな作業に関わり、貴重な体験をさせていただきました。単純に見える作業にも、いろいろ工夫の余地があり、私は楽しく感じました。苦手だったのは、茎わかめの選別です。脇の葉を切ったり、赤い海老に似た微生物を除いたりするのですが、何処まで切り除くのか、かなり個人の判断に委ねられます。みんなで慎重にやることにしましたが、そのため、最終日に分担されたケースの選別を終えることができず、心残りとなってしまいました。選別だけでなく、私たちが作業した結果が、かえって効率に悪影響を与えていたのではないか、と密かに怖れています。チーフの阿部さんは、いつも微笑んで、そこには触れませんでしたが。

昆布加工機の残骸

 作業の帰りに、津波被害の状況を、視察させていただきました。通勤途中にも、廃車が山脈のように詰まれた宮古運動公園や、破壊された堤防、廃墟となったスタンドや温泉センター、区画のみが残る集落などが、眺められました。3日目の帰りに、姉吉(あねよし)のキャンプ場跡を、視察しました。崖の中腹まで、津波の跡が残り、巨大な突堤の骸が、川口を遡った地点まで転げていました。私は、コンクリの平面となったキャンプ場跡で、崖の剥きだされた肌と、塩で変色した松とを、眺めていました。隅に、緑色の作業機械の残骸があり、初老の男性が軽トラを停め、それをいじくっていました。浅川さんが尋ねると、これは昆布を加工する機械だったが、何とか解体できないものかやっている、と答えてくれました。男性は、20分ほどやっていましたが、やがて、機械を置いて去ってゆきました。後で聴いたら、その辺りには、個人の加工場が、数軒あったそうです。4日目の帰りは、漁港の周辺を、視察しました。鉄骨だけの施設が、陽を浴びていました。通路は、海に落ち込んでいる箇所もありました。中央に、破れた漁船の旗が、揺らいでいました。気がつけば、天井にも、ひしゃげた船の枠が、載っていました。

 私たちが、重茂で触れたのは、被災の映像ばかりではありません。壊され泥の詰まった養殖施設の溝から、漁協のみなさんが総出で、シャベルと手を使い泥や瓦礫を除去している光景を、通勤途中に目撃しました。背後の海は、穏やかな表情を見せていましたが、施設の遥か先にまで、津波の痕を残してもいました。整列し掘り起こす漁協の人々の姿からは、再び、この海と対峙しながら、「津波以前」に辿り着こうとする気迫が滲んでいました。また、袋詰め作業の中休み、茶飲み話に、復旧していない水道について、「ほんとに川で洗濯するとは思わなかった。」と、朗らかにおどけた、若い奥さんたちの明るく素直な笑い声も、私の胸の中に蘇って来ます。

 埼玉に帰り、実質4日の支援で何を伝えることができるのか、危ぶんでいます。ただ、これだけは言えるかも知れません。それは、私たちに届く「わかめ」が、深い色を湛えた重茂の海から獲られ、その海が迫る地で、津波の後も生きていこうとする大勢の人たちが選別し袋詰めをした、私たちへのメッセージであることです。

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